半夏生

今日は半夏生(はんげしょう)です。
なんじゃそりゃ?と思う方も多いでしょう。
太陽が黄経100度に達する日のことで、大体夏至から11日後です。今年は7/2で今日です。
くわしくはこちら

関西ではたこを食べる習慣が、讃岐ではうどんを食べる習慣がある日だそうで。
今日、私もスーパーでたこを買ってきました。
また、場所によっては麦餅を食べるところもあるようです。
この日は天から毒気が降ってくると言われており、野菜の収穫や種まきは禁のようです。
今日種まきと収穫をしようと思いましたが、明日に延期です。

花の半夏生はこちらです。(季節の花300より)
ドクダミ科の植物で、葉が徐々に白くなるのが不思議ですね。
半化粧とも書くようなのですが、葉におしろいを塗ったようで、
それも表現としていいなあと思います。

ところが、この半夏生、クセモノで。
半夏という漢方に使われるものは、カラスビシャクのことらしいのです。
そして、カラスビシャクの別名も「半夏生」だそうで。
半夏生(カラスビシャク)はサトイモ科の草で、俗に「この草から毒気が出る」とも
言われていたようですが、この根茎を使って生薬が作れるわけです。つまり、薬になる。
ややこしい!
花の半夏生との区別も面倒ですが、毒だの薬だの、っていうのも面倒ですね。
まあ、もっとも漢方薬というのは、割と毒と薬は裏表一体、みたいな材料が多いですが。
(ジギタリスもそうですよね)

ともあれ、今日はたこを食べて、太陽が100度に達したということを認識しつつ
自分の健康をも保てたらいいな、と思っています。

厄除

やっと昨日、厄除祈祷を受けてくることができました。
DVC00026
この神社は、私の実家の近くにあります。関東ではかなり大規模な神社。
お宮参りや七五三も当然、ここで受けました。
私は挙式も神前式だったのですが、その時は残念ながら
この神社ではなく、違うところで挙げました。
ただ、ご祭神は同じなので、神様に対して
不義理はしていない…つもりです。

さて、今日から天気が崩れるという予報だったせいか、はたまた午後だったからか
去年と一昨年は私一人で受けたご祈祷を、昨日は数組一緒に受けました。
待合所には、お宮参りと厄除けと祈願の方が混在していて、賑やかでした。

本殿にご案内を受けて、神妙な気持ちで正座して待っていると、
神主さんが入ってこられて、儀式が始まりました。
祝詞の響きは好きです。神主さんの声も綺麗だなあ、と思いながら
詞の葉に耳を傾けると、「凶事、穢れを祓え給え」とうたっています。
何だか、これだけで十分、体についた悪いものが取れていくような気がしていました。

が。

玉串奉納の際、神主さんが近くに来て下さって、受け取ったのです。
儀式なので、俯き加減で神様に祈りを捧げていましたが、この時は顔を上げていました。
…神主さん、カッコイイ!
これで、一気にまた穢れ倍増、いや倍どころか無限に妄想、祓われるはずのものが
かえって、煩悩を抱え込んで帰宅することになってしまいました(爆)

いや、分かってるんですよ。直衣(だと思います)姿だと、
私の中で勝手に美化されてるとか、ああいう場で会うからカッコ良く見えるとか。
でもでも、しょーもないけど、最後に授与されるお品を受け取る時も、妄想中でした。
ああ、神様ごめんなさい。

DVC00037

これが授与されたものです。
お札は、名前と年齢が書いてありますが、一応白い紙で隠して
撮影しました。
それと、御神酒と神饌(お米)と御供物(お菓子)です。
この3点は、家族と一緒に食べると良いとのことでした。
せめて、これ食べて、穢れを祓わないと…。
でも、私から妄想を取ったら何が残るのかしら(爆)

厄除は、別にしなくても良いものだと思います。
厄年というのは、自分が注意して、慎んだ生活をしてさえいれば大丈夫だと思います。
私の場合は、たまたま、生まれたときからずっとお世話になっている神社の神様に
節目の年に、ちゃんとお礼を言わないとなあ、ということで、行っています。
なので、厄除したからって、油断せずに生活を慎まねば…と思います。

厄年の考え方

「厄年」と聞くと、いろんな災厄が降りかかる年、と考える方が多いと思います。
災厄がどっと降りかかるということはないにしろ、その年齢の前後は体質が変わったり、
生活環境が変わったりすることで、体調を崩しやすい、ということからの警告的意味合いで
「厄年」というのが言われているのだ、と思います。
実際、私も大厄を経たら、体質が変わりました。アレルギーに弱い体質になってしまいました。
それと、やはり30を過ぎたら無理のきかない体になりました。
無理したら無理した分だけ、後で思ってもみない時にしっぺ返しがきます。

さて、厄払いなのですが。
私は無宗教の人間です。でも、自然の恩恵というか、自然界の摂理というか、
そういう大いなるものに対しては、尊敬と感謝の念を持っています。
なので、神社の雰囲気は好きですし、八百万の神という考えも割と好きです。
言霊とか、物に宿る神様といった考えも、いつも信じているわけではありませんが、
自分の中にある考え方に近いなあ、という感じがします。
「厄払い」は神社の営利主義によるものではないか、と考える方もいるかと思いますが
私は、「厄」そのものは存在しないとしても、あの一連の儀式は、自分にとっての修行で
(普通、15分近く寒いところに正座して、じっとしているってことがないでしょう)
それを受けることで、自分の心の歪みを直している、というイメージで捉えています。
「それならわざわざ、お金払って受けなくても大丈夫よ」という方は、厄払いは無駄だと思うので
受けなくていいと思うのです。
自分流の、自分を正す術を持っている人はそれでいいのです。
また、私は厄払いは、自分の生き方を振り返って、いつも支えてくれている方や環境に
感謝をする場だと思っています。そういう気持ちにさせてくれる雰囲気があるのです。
厄払いは「初穂料」がいくらから、と決まっており、あとは「お気持ち」でお金を納めます。
現代では、神社に行く機会は初詣、七五三、お宮参りくらいで、
後はほとんど生活に密着しておらず、だからこそ「神社にお世話になっている」という気分が
まったく沸かないので、その初穂料も高く感じられることでしょう。
だから、神社にあまり親しみを感じない人は、わざわざ厄払いを受けることはないと思います。
ちなみに私の場合は、昔から図書館が神社の境内にある、という環境で図書館に入り浸って
生活してきた経緯があるので、いつもその神社で厄払いをお願いしています。

と、まじめに書いてきましたが、オチ。
私、前世が巫女、ってどんな占いでも出るんですよね。
神社や森が好きなのはシャーマン体質だからかなあ?(笑)

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