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amanogawa

「yu-dutsuは確か佐藤竹善さん大好きだったはずなのに、ブログ始めて3ヶ月、
サイラバとゴスペラーズは出てきてSLTや佐藤竹善の記事がないってどういうこと?」
という友人のコトバが心に痛い今日この頃です(笑)
それなら、今日はちょうど七夕なので、ピッタリの「amanogawa」の話題をば。

「amanogawa」は元々、Skoopの名曲。「amanogawa」1999年に発売された彼らのシングル。
アルバム「Where do we go」にも収録されていました。
2001年のSkoop On Somebodyのアルバム「Nice’n Slow Jam」でセルフカヴァー。
この曲をめちゃくちゃ佐藤竹善さんが気に入りまして、もうずーっと「amanogawaいい!」
って言い続けてました。最初のフレーズがすごく気に入ったそうです。
(歌詞検索ここでできますよ)
そして2002年に竹善さんがシングルと、カヴァーコラボレートアルバム「Cornerstones2」で
Skoop On Somebodyも参加した形でカヴァーしました。

この曲はとにかく聴いてほしい曲です。七月の夜空、まだ忘れられない女性がいる男の想いが
切ないほど綺麗に絡み合って、胸を打ちます。言葉は要らない感じ。
Skoop On SomebodyのTAKEさんの歌い方は切なく、艶っぽく、苦しいというイメージ。
竹善さんの歌い方は優しいけど、哀しい、諦めてはいるけど…という感じがします。
SkoopVer.試聴
佐藤竹善Ver.試聴
どちらが優れている、ということではなく、どちらも素晴らしいです。後は好みですね。

特筆すべきは、竹善Ver.では最後の方、心情を表した重要な歌詞を、TAKEさんに
歌ってもらっているんですね。これは竹善さんが歌わなかったのではなく、
コラボしてくれたSkoop On Somebodyに敬意を表して、TAKEさんに歌ってもらったのでしょう。
実はこの竹善Ver.のシングルが発売された直後、期間限定でコンビニダウンロードがあり
全部竹善さんが歌った「Chikuzen Ver.」というのが存在するのです。私はMDで持っています。
これがまた…。もう、竹善さん素晴らしすぎて。技巧的に、じゃなくて。ただただ心に沁みます。
初めて聴いた時、自然に涙が出ました。
TAKEさんが歌っていたあの歌詞も、もちろんこのVer.では竹善さんが歌います。
それがまたファンには嬉しかったりもして。私はSkoop On Somebodyも好きなので
コラボもすごく嬉しかったのですが、それとはまた違った感慨がありました。

私にとって、夏の夜空といえば「amanogawa」です。
切なく、静かで、でも心から消せない、あの輝く星屑のように流れている。
そんな想いをちょっとだけ、思い出すのです。
今日はSkoopと佐藤竹善とChikuzen Ver.の3種類をヘビーローテーション中です。

※日曜日に資格試験を受けるため、明日と明後日のブログ更新は
お休みさせていただきます。また日曜にお会いしましょう!

明日は七夕

今夜は新月で、月が見えません。月大好きな私にはちょっと淋しい日。
明日は七夕ですね。晴れるといいな、と思っていますが、どうなるでしょう。
東京地方は雨のようですね…。

織女・牽牛伝説は皆さんよくご存知でしょうから、ここには書きませんが
そもそも、七夕というのは旧暦で考えないと、織女と牽牛は雨に邪魔されて
会えないのです。旧暦の7月7日(今年は8月11日)なら、織女(こと座のベガ)と
牽牛(わし座のアルタイル)は天空に美しく輝いていることでしょう。
また、太陰暦においては七夕は必ず上弦の月になるそうです。
昔の人はこの月を舟に見立てたと言います。
そんな気持ちで空を見上げる心、忘れたくないですねえ。
ところで、童謡「たなばたさま」にある五色の短冊の五色は、
五行説にあてはめた五つの色で、青・赤・白・黒・黄をいうとのこと。
この間、ボランティアで短冊を作っていたのですが、黒い短冊って作りませんでした。
何だか縁起が悪い気がしませんか…?でも、中国における五行説では、
黒は重要な色ですから、使われても当然なのでしょうね。中国ではくす玉飾りを作るそうです。

参考にさせていただいた祭り彩時記 七夕にはこんな話も載っています。

『古事記』には、水辺で神の衣を織り、天から神が降り立つのを待つ
棚機女(たなばたつめ)という巫女の伝説が記されている。もともと“しちせき”として
伝わった「七夕」を“たなばた”と呼ぶのも棚機女からきているわけである。

そして、この棚機女は一説によると、伊勢神宮の最初の斎宮、倭姫命だったとか。
中国の乞巧奠(きこうでん)や他のお祭りと合わさって、日本独自の「七夕」
という行事になったようですね。
なかなか由来を調べてみるのも面白いものです。
今年は仙台の七夕に行ってみたいな~などと考えているところです。

磐長姫と木花咲耶姫

今日は日本神話について。
木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)と言えば、桜の花の象徴として、
また富士山の浅間神社の守護神である女神として有名ですが、
安産や繁栄の神として祀られているのをよく見かけます。
しかし、その姉である磐長姫(いわながひめ)については、意外に知られていませんし
祀られている神社も少ないように思います。ちょっと残念。

こんなエピソードがあるんですね。
詳しくはこちら
天照大神の孫に当たる天孫・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命が
(「あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと」と読みます。長い!
なので、以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」と記述)
木花咲耶姫を見初めます。姫の父・大山祗神(おおやまつみのかみ)は、
邇邇芸命に木花咲耶姫と共に、姉の磐長姫も嫁がせます
その意味は、姉の磐長姫が石=永遠に不変、不老不死を、木花咲耶姫が花=豊穣と繁栄を
司っているので、邇邇芸命の子孫が長命で繁栄するようにということだったのですね。
また、日本古代においては姉妹両方を同じ男性に嫁がせることは多かったようです。
さて、その邇邇芸命、磐長姫が醜かったため、何と大山祗神に返してしまいます。
このため、人の寿命は短くなったと言われています。
似たようなエピソードは東南アジアやニューギニアにもあるとか。興味深いです。

さて、この磐長姫、その後どうなったかはっきりしないのですが、貴船神社によると
『磐長姫は大いに恥じて、「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために
良縁を得させん」と言われてこの地にお鎮まりになりました。』だそうです。
というわけで、貴船神社の結社(ゆいのやしろ)に祀られ、縁結びの神様として
和泉式部もお参りした、というエピソードを残しています。
しかし、やはり木花咲耶姫より地味です。悲しいくらいに。
私は美女じゃなかったけれど、とても内面が綺麗な神様だったのではないか、と思うので
磐長姫にすごく親近感を持っているんですけどね。貴船神社でもバッチリお参りしましたし。

ところで、この磐長姫にゆかりの磐座が筑波山神社近くにあるとのこと。
月水石(がっすいせき)神社という名前だそうです。ああ、名前からして綺麗。
ここに実際に行かれて、磐座を見てこられた方のHPのリンクはこちら
素敵です。行きたくなってきました。
ただし、貴船神社に祭られている磐長姫とは別の神様、という説があるそうです。

ともあれ、私は木花咲耶姫も好きですが、磐長姫により強く惹かれます。
月読命に惹かれるのと同じで、ミステリアスで静かな神様に魅力を感じるようです。

介護のベース ②全体を見ること、個を見ること

月曜連載シリーズ「介護のベースになること」です。
介護のベース ①介護する上で絶対必要な支柱

今日は「全体を見ること、個を見ること」と題して、施設介護においてぶつかる壁
「一対多数で介護しなくてはならないのに、どうすればいいの?」ということについて
書いてみたいと思います。

在宅介護は在宅介護で、そのうちのやり方・そのうちである道具で介護をしなくてはならない・
1人で判断しなくてはならない(どうしても困った時はヘルパーステーションに相談できるが
基本的にはヘルパーが考えて行動する)、といった難しい点がたくさんあります。
だから、私はヘルパーの方が実はスキルが高くないと出来ない、と思っているのですが
その話はまた別として。施設介護で必ず付きまとうのが「一対一ではない」ということ。
極端な話、コールが3つ同時に鳴る、転倒注意で見守りが必要な方が落ち着かなくても
他の方に呼ばれたら対応しなくてはならない、といったリスクが伴います。
特に夜勤帯は少ない人数で多数に対応することになるので、かなり緊張します。

さて、「全体を見る」と一概に言っても分かりにくいと思いますので、イメージが沸くよう
学校で例えてみたいと思います。
先生が授業をしているとします。科目は何でもいいです。
真剣に授業を聞いている子、心ここにあらずで違うことを考えている子、
真面目に聞いているけど全然ついてこれない子、もうそんなことは余裕で分かっていて
退屈している子。集団になると、いろんな子がいると思います。
先生に求められる能力は、この「集団」に対してどうアプローチするか、ということ。
1コマの授業をする中で、出来る限り全員のニーズに一番近いラインに
持って行くことになります。
これを施設に置き換えると、例えば12時のお昼御飯までに、それぞれの利用者さんに
水分補給や排泄介助、入浴や身の回りを整えることなどのニーズを満たして
すべての利用者さんがお昼御飯を食べられる体制をとること、ということになります。
そのためには、1人1人の訴えにあまり振り回されすぎていては動けません。
もっとも、これについては、今タイムテーブルを撤廃した施設の動きも出てきているので
必ずしも、スケジュール通りに動くのが施設としての至上命題、とは思いません。
ただ、集団生活である以上、どんなことをしたとしても「全体を見る」ことからは
逃れることは出来ないと思います。介護者である自分は、1人しかいないのですから
一緒に働いている職員と連携するなり、自分の頭の中で動き方を考えるなりして
どうしたら、全員のニーズをきちんと満たせるか考える必要があります。
…こう書くと、大変なことですよね(笑)
偉そうに書いた私自身、うまく回せず苦労した経験がたくさんあります。
相手は人ですから、そんなに計算して動けるものでもないですからね。
でも、この視点を忘れてしまうと、結局は利用者さん達がニーズを満たされず
とってもつらい思いをすることになります。
そして、一番困るのは、「訴えた者勝ち」になってしまうこと。
おとなしい利用者さんや、自分からは訴えることが出来ない方がないがしろになります。

そして、ここで全く対極にあるかのようなことを私は書きます。
「個を見ること」を忘れてはいけません。
集団を見ることを考えすぎると、ついつい統制を取ろうとしてしまいますが
施設は「生活の場」であり、その人の生活の「援助」をするのが職員です。
間違っても、私達がコントロールしているのではないのです。
私が「うまく回す」と言ったのは、利用者さんのニーズに応えられるようにするため
常に全体を見て、自分がどう動けばいいのか考えるということであり、
利用者さんをどう動かすかということではありません。
なので、利用者さんは、20人いらっしゃるとしたら、1/20ではなく、1/1の
かけがえのない存在なのです。このことは、私が学生時代に実習を行なった施設の
相談員さんから贈るメッセージで教えていただき、私の中で大黒柱になっていることです。
だから、1人1人にきちんと応える形で、自分の仕事の仕方を
コントロールしていくのが大事です。

ああ、何だか難しそうですね。でも、確かに施設介護ってそんなに簡単じゃありません。
プロですからね。厳しいのは当たり前です。
でも、冒頭に書いた通り、マンツーマンだからってヘルパーが楽ということでもない。
つまり、介護のお仕事は楽しいけど、ものすごくスキルは求められます。
その辺は覚悟して、仕事に臨んで欲しいと思います。
次回はさらに利用者さんへの対応の仕方について、掘り下げたいと思います。

絶対音感保持者の苦労

以前、このブログで絶対音感のことを書きました。
その時書いたのは、私がずっと「絶対音感」だと思っていたのは違ってた、という話でした。
しかし、私にはやはり絶対音感があります。最近、改めて実感しました。
ただし、その絶対音感はものすごく中途半端で、♯や♭がつくと分からなくなったり
6重和音は全然聞き分けられなかったり、という感じです。
ただ、あるものの音が意識して聞くとドレミに聴こえたり、救急車の音が
「シーソーシーソー」に聴こえたり、音のピッチがちょっとでもずれていると
気持ち悪かったり、カラオケは原曲キーでしか歌えなかったり(移調や移動ドがダメ)、
そんなところは、しっかり絶対音感保持者の特徴が出てますね。
あと、最近困っているのが、音楽に濃くどっぷり浸かった生活をしていたせいか、
TVで音楽が鳴っている時に携帯の着メロが響いたり、音楽を聴いている時に
PCのMIDIが再生されたりすると、頭がおかしくなるかと思うくらい気持ち悪いです。
頭痛すらします。うぎゃー、となります。
このスイッチ(片方を雑音として認識する)を、前は体得していたのですが
ここのところ、意識的に絶対音感訓練やコード音感訓練をしていたせいか
音楽に対して非常に敏感になっているようで、またコントロールが効かなくなりました。
もうちょっと訓練すれば、乗り越えて楽になるかしら?
絶対音感保持者の方の中には、それを完璧にコントロールしている方もいるので
そういう意味では、私が不器用だったり、音楽的なセンスが足りなかったりするのが
問題なのでしょう。多分、相対音感をものすごく高めれば解決するかも、
と思っていますが、違うのかな?それでコード音感訓練をしているんですけどね。
本当に困るのは、カラオケ原曲キーでしか歌えないことですよ!これは、致命的。
自分に合ったキーで自由に歌えるようになるといいのに…。
でも、それ以外はそんなに苦労はないんですけどね。相対音感もあるおかげです。
だから、逆に完璧なハーモニーより、不協和音が意外と好きだったりして。
不思議なものです。

絶対音感は、幼児期にしかつかないものなので、子どもに絶対音感をつけさせようと
レッスンに通わせる親御さんも多いようですが、私の意見としては
「絶対音感はあったほうがいいとは言えない」ですね。
本当に賛否両論あって、「幼児期にしかつかないんだから、親がプレゼントしなきゃ!」
という人もいれば、「つけさせたくない。自分が絶対音感保持者で苦労したから」
という話も聞きます。もちろん、あって完璧にコントロールできていて、絶対音感と
相対音感のスイッチを切り替えられるような形になるのが一番ですが、
そうなるとも限らないし…。
で、結論としては「楽しんで身につくのであれば、それは自然なこと」ってことですね。
音楽好きな子は、自然に音感が身につきますよ。絶対音感かどうかは分かりませんが。

精度の高い相対音感はものすごく役に立つと思います。
簡単に移調できるし、移動ドにも対応できて、いきなりラと言われてその音を出せなくても
そんなのはチューナーや音叉で補えるし、その後綺麗にハーモニーが作れれば問題なし。
だから、絶対音感>相対音感 ってことは全然ないのです。
絶対音感があって便利、ということもあるとは思いますけどね。楽器なしでも音が分かるとか。
でも私はA441Hzの音叉愛用してますけどね(笑)←でも使い道はあまりない

ちなみに、ピアノで絶対音感を身につけた私は、トランペットを音楽で聴くと
気持ち悪くないのですが、楽譜見ながら聴くと頭が混乱します。
ドがピアノの音でいうとシ♭なのですよ。1音下がってるのです!
というわけで、火原くんが大好きでもトランペットは練習出来ない…(涙)

まあ、何度もこのブログで書いてますが。音楽は楽しむもの!
私は絶対音感があるからたまに苦労しますが、その苦労も音楽を聴いたり奏でたりする
楽しさに比べたら、何でもないことですよ。ホント。
歌えない、弾けない悲しさの方が何百倍もつらいだろうと思います。
だから喉、指大事にしないとなあ。

参考サイト:あなたの音感は何型か?
※私は絶対音感 人間音叉型 実音固定ド型です。多分…。
でも本当に中途半端なんだけど。

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