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歌うこと

このブログではちょこちょこと、私が歌について考えたことを書いていますが
最近、改めて歌うことについて、理屈じゃなく何となく感じたことを書きます。

私は小学生から演劇を始めて、高校の頃は部活では演劇やらなかったのですが、
ずっと演劇どっぷり生活を送ってきました。
今も所属している劇団は活動休止中なだけで、女優引退したとは思ってません(笑)
ま、もちろんアマチュアレベルではありますが。
ただ、私は小説にしろ、演劇にしろ、歌にしろ、たとえアマチュアであっても
ヒトサマの前で表現するからには、少しでも良いものを披露するために向上したいですし
その努力は出来る限りしたいと思っています。
その意味では、自分のためにやっていることであっても、やはり見る人のことは
常に意識しています。

さて、本題の歌の話です。
私はカラオケを大学生くらいの頃からずーっと好きで継続していますが、
どうしても越えられない「壁」みたいなものを感じてきました。
それは、私はオリジナル曲通りに歌おうとしてしまうので、
歌い方やキーまで全部、原曲にものすごく影響されてしまうのです。
だから、絶対音感の話の時にも書きましたが、キーを変えて歌える人は
本当に羨ましいな~と思っていました。本当は声質に合わせてキーを変えた方が
自分の歌になりやすいんだろう、と思っていました。
その認識は今も変わらないのですが、最近ふっとその壁を壊した、
と思える出来事がありました。
一昨日のブログでゴスペラーズが好き、と書きましたが
彼らは結構、歌の雰囲気に合わせてヴォーカルスタイルを変えているなーと
改めて思いました。そこで、はたと気がつきました。
「表現」するという意味では、演劇も歌も変わらないのではないか?
こんな簡単なことに、実に10年も気付かなかったんですよ、私は!
同じ「表現すること」だという意識はあったと思うのです。でも、その曲をどう歌うかに
すごく囚われていて、表現だということが二の次になっていたような気がします。
そう思ったら、すっこーん、と突き抜けて、私の目の前を覆っていたものがなくなりました。
いや~、なので最近のカラオケは非常に気持ちがいいです。
何だか、ようやく「自分の歌」を歌えるようになった気分がします。

最近、自分は柴田淳と音域が似ていることに気付きました。
以前、鬼束ちひろとも似てて歌いやすいな、と思っていたのですが、鬼束を歌ってると
彼女のスタイルに非常に影響されていて、よく似てる、という雰囲気になっていました。
悪く言えば真似というかコピーです。
まあ、完コピから入るというのは歌の上達のためには必要なことなので、
コピーが悪いということではないのですが、そこから抜け出せなくなると、
自分の歌にはならないんですよね。
それで、何故か柴田淳に関しては、歌ってて柴田淳の真似という違和感がないのです。
声質が合っているせいか、すごく歌いやすいし、表現もしやすいんです。
その表現方法は、柴田淳のオリジナルとはちょっと違ってるように思います。
が、それが私の歌なんだな~と思えました。

そうしたら、あら不思議。歌うのがさらに楽しくなってきました。
カラオケはストレス解消じゃなく、既に私にとっては「自分を解放すること」です。
すごくいい~!
後は喉を痛めないように、しっかりヴォイストレーニングして、喉を休めるようにしなくては。
ゴスペラーズの北山さんのように、食事制限までは…ちょっと無理だけど(^^;;;

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